2010年2月13日土曜日

『長寿社会のまちづくりシンポジウム ‐豊四季台地域の未来を考える‐』開催の噂を聞いてちょこっと思ったこと

柏市役所主催で以下のようなセミナーが開催されていたそうです。
終わってから気づくあたりが私クオリティー。

長寿社会のまちづくりシンポジウム ‐豊四季台地域の未来を考える‐
いくつになっても楽しく働く・遊ぶ! これからの新しいわくわくワーク

# 挨拶
柏市長 秋山 浩保・都市再生機構千葉地域支社支社長 木村重夫
# 「85歳くらいまで働けるまちをつくろう」
講師 秋山弘子特任教授(東京大学高齢社会総合研究機構)
# 「街のコンシェルジェの5カ年」
講師 沢田藤司之理事長(NPOバリアフリー協会)
# 「<つながり>が生み出す豊かなシニア社会」
講師 牧野篤教授(東京大学大学院教育学研究科)
# 「柏発のチャレンジ-農産物直売所かしわで-」
講師 染谷茂代表取締役(株式会社アグリプラス)
# Let's Enjoy シニアチアダンス
日本シニアチア協会オフィシャルチーム「Teamジェスカ」

とのことで、いろんな人がしたり顔で講演したようです。

演目から読みとれるのは、高齢の方々の就労をテーマに
街作りとコミュニティー、ボランティアの観点で切り込んでいく感じでしょうか?

働くというポイントからちょっとずらして、団地と高齢者の問題。

団地の限界集落化にも見て取れる高齢者の単独生活の問題。
これって、日本の住宅行政のしわ寄せが
孤独死を生んでいると言い換えても言い過ぎじゃないと考えてます。

私の父方も母方も故郷は遠方なんですが、
この両方とも昔ながらの大家族スタイルで
三世代以上一緒に住んでたりするわけです。
それが、関東近県にはいると一人暮らしが前提となって、
蜂の巣みたいなちっちゃなワンルーム暮らしばかりになり、
世代間の分断が勢いよく起きてたりしています。

まあ、何も住宅行政なんて言葉を大げさにつかわなくっても
一人暮らしや単世帯って非常に効率が悪いもんだなと。
例えとして分かりやすいと思うのがお風呂。
湯船の大きさはそんなに大きく違いはないと思うんですが、
張ったお湯を一人で使うのと家族で使うの、
さらにもう一世代も同居して使うのであれば
たくさんの人が使う方がお湯の効率はえらく向上するわけです。
炊事洗濯にしろ一人の分をまかなうために
道具や消耗品やらそろえて一通り買わなきゃいけなくって非常に効率は悪い。
細かい説明をすると話が異様に長くなるんではしょりますが、
まあ、大きな集団の方が消費効率がいいと思います。
(余談ですが、小選挙区制だと反映されない民意が非常に多いらしいです。
そんなわけで大選挙区でやる方が民意の漏れが少ないそうです。
つまりは、細かく分けることによる無駄が発生するようになるということ)

それと、家の中の役割分担の問題。
私は鍵っ子と孤独死は同じ根っこを持った病と考えます。
これらの問題の根っこが先に挙げた世帯の分断化で、
多世代家族であれば誰かしら家にいるわけで
子供が学校からから帰ってくる時間ぐらいなら
上の世代が家で家事していたりお茶呑んでたりするわけです。
年寄りが具合わるくなっても家族が発見し、
少なくとも死ぬ前には気付いてもらえるはずです。

そうそう、話はわき道に入りますが、
労働ってA型労働とB型労働ってのがあるらしいです。
うろ覚えもいいところで、かなりいい加減にしか覚えてないんですが、
ヨーロッパだかアメリカだかでは
労働や企業に就労してする仕事と
家でする仕事(壁にペンキ塗ったり家なおしたりとか家事労働とか)では
同じ“仕事”という言葉でも棲み分けができているらしいです。
このベースがあるとワークライフバランスってのは
A型労働とB型労働のバランスを最善化するための言葉だというのが
見て取れると思うのですが、
日本だと家事労働系はかなりないがしろにされている現状があって、
威張るしか脳のないおとっちゃんなんかだと、
家のことは何もしないのが当然なんて顔をしてたりするわけです。
つまりは、会社労働をやっているから家事労働はやらんでいいというリクツで。

あと、会社労働と家事労働のどちらの仕事も
毎日コンスタントにやらなければならないことと
たまに発生する大仕事ってのがあって、
多世帯同居であれば毎日の家仕事は引退した年寄りが請け負って、
たまに発生する大仕事なんかをお父さん世代がやるなんて役割分担ができます。
それこそ毎日のゴミ出しは家にいる年寄りが始末して、
粗大ゴミの日はお父さんやお兄ちゃんあたりがやるという感じで。
一人暮らしや夫婦+子供みたいな世帯だと
毎日やる細かい仕事で忙殺されちゃって子供にかまえなくなったり、
どっちか一方に仕事が多く偏っちゃって不公平感が大きくなったりします。
ホームドラマ的な風景だと朝のゴミ出しは出勤ついでに出すもんなんて描かれてますが、
これだって多世代が一緒に住んでいれば
朝早い年寄りや引退した上の世代がやればいいだけの話です。
年寄りってのは就職してするような仕事、
継続して何時間かやらなきゃいけない仕事は
ちょっと難しいんではないかと考えてます。
膝が痛い、腰が痛い、疲れた、一休みなんてのは
年寄りの口から出てくる定型文ですし。

それと、今の日本は公的な負担が大きく家計を圧迫しています。
主観ではよくわからなかったのですが文末に挙げてあるページを読んで頂ければ、
公的セクターによる支出が家計に大きな負担になっていることが読みとれると思います。
これも、多世帯が同居することにより負担を軽減することができると考えます。
簡単なところでは、電話やネットなどの通信費。
一人暮らしでは常時接続の回線はほとんど使われない時間のみになりますが、
家族で共有することによりコストパフォーマンスは飛躍的に向上します。
たとえば、私の家だとパソコンは家族一人一台分所有し、
HDDレコーダーもネットから番組表を自動で拾ってくるようなのを使っているので、
とりあえず効率は良い方。
また、電話回線などもいざというときのため残してあるのですが、
家族で共有しているから無視できるような負担。
新聞にしても家族はテレビ欄、私はそれ以外のページと
一人だったら購読しない物が家族単位となることで購読対象になる物もあります。
つまりは、毎日のちょっとした支出こそ共有することで
定期的に購入し消費するサイクルができあがるようになるのではないかと。
言い方を変えれば一人暮らしなどの単独世帯では新聞なんか必要としません。
ニュースに関心があればネットで専門誌の記事が手に入りますし、
外交問題であれば英語があやふやでも海外から直接ニュースを手に入れられます。
例示した新聞は今やメインの媒体ではなく諸々の選択肢の中のひとつでしかありません。
電気・ガス・水道など会社を選べればこういう事も言えるのですが、
さすがにそれは話が飛躍しすぎなので、話を元に戻して、
家計が公的支出で圧迫されているって所で。
これらは、世帯が分かれるごとに支出が増えるような仕組みになっています。
電気・ガス・水道。どれをとっても基本料金があり、
どれだけ節約しても基本料金以上安くはなりません。
家賃だって一人あたりの負担額を計上すれば、世帯を分けた方が負荷が大きくなります。
つまりは、家族を最小単位に分割し世帯を増やすことによって、
公共系の人たちと大家さん達は収入源を増やすことができたのです。
おかげで収入にしめる固定費は向上し、何かと便利だった家族の固まりは
生活維持を最低限進めるだけの細分化が図られてしまいました。

まあ、団地という住居はそういう家族が居着く象徴的な場所なのですが。

昔であれば団地というのは腰掛けであり、
ここで家賃を浮かして終の棲家を求めるってのもありました。
しかし、近年産業構造がものすごい勢いで変化を続け、
終身雇用は昔話のメルヘンとして語られ、
ベースアップなんて言葉は新聞のみで見るものであり、
自分の給料明細とは関係ない物になりました。

つまりは、隣は何をするものぞ関わらない世帯主義の暮らしを
全面的に支えてきた団地という集合住宅が、
この時代になり初めて街としての機能を改めて確立しなければならない
そういう時期になってきたのではないかと思います。

団地の一室の中で多世帯は難しいものの、
すぐ近くに借りることで役割分担や大きな家族としてのつながりを
保つことは可能になります(立て替え目前の豊四季団地だと難しい話ですが)。

主戦となる青年層以外の世代にとって安心できる場所が確保され、
また、役割分担による“仕事”も確保されます。

居場所と役割があれば人は安心して過ごせるのではないかと思います。
年寄りがそれでもなお表に出て働くというのであれば、
それは全面的に支援できることであり、
家族の中に新鮮な空気をもたらす物になると思います、

そういう大きな流れを無視して就労だけにポイントを絞り
話をしていても時代の変化に残されるだけじゃないかなと
演目を見て思いました。

古くさいからと切り捨てた昔ながらの家族の姿こそ
出生率低下・高齢化後の社会にとって必要な形であり、
経済活動が大きく姿を変えたあとにであっても通用し、
諸問題を解決できる策のひとつではないかと思います。

※参考

家計の中の公的支出について
数字の根拠にしたところ
http://d.hatena.ne.jp/statsread/20100116/1263613172
『表4 世帯支出(平均月額)の内訳 公的・準公的セクターと民間セクターの比較』
を見ると生活にかかる出費の流れの変化を読みとれると思います。

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